「後三年の役」と年金基金
東京弁護士会会員 竹之内 明

1 非生産年齢となって

 昨年5月,私は,晴れて,前期高齢者の仲間入りをした。人口統計では,65歳以上は非生産人口に分類されるそうだが,生産することを期待されない年齢に達したわけである。2011年度,東弁会長(日弁連副会長)を務めさせていただいたが,その「後三年の役」もあり,生産しているとはとても言えないが,細々と仕事はしている。
 幸い,健康面でも余り問題はない。私は,極めて優良な国民健康保険の加入者である。2011年度も一度も医者に行ったことはなかった。また,入院したことは過去一度もない。中学生の頃,盲腸の手術を受けたが,その際も戸板に乗せられて,即日帰宅した(もっとも入院設備がなかったというのが正確である)。また,健康診断も司法修習生の頃に受けたのが最後である。全くの偏見なのだが,健康診断を受けると病気にされてしまうと頑なに思い込んでおり,医者には近づかない。
 そんな私だが,今年になって、日帰りで白内障の手術を受けた。そのために血液検査も受けさせられた。何せ健康診断を30年以上受けていないし,およそ節制とは無縁で,酒も煙草もかなりのものなので,内心ビクビクだったが,いずれも正常値の範囲で,会う人毎に自慢そうに触れ回っている。
 手術後,北海道のルスツへ2泊3日でスキーに行った。毎年一度はスキーに行くのを恒例としていたが,昨年,一昨年は,それが果たせなかった。私にとっては,このスキーが,体力面での健康診断のようなものであり,不安もあったが,まだまだやれると自信を深めて帰ってきた。

2 年金基金のこと

 こうして,国民年金基金からも年金がいただけるようになった。基金からいただけるのは,年額換算で170万円ほどである。外に,年額で,国民年金の基礎年金と厚生年金が23万円ほどで,国家公務員共済が6万5000円ほどになる。併せて200万円というところである。
 私が基金に加入したのは,基金が設立された1991年のことである。今後確実に弁護士人口は増えるのだから,早速加入しようと思ったのだが,問題は,国民年金の第1号被保険者であることが,基金加入の条件となっていることであった。当時,私は,国民年金など破綻するに決まっていると嘯いており,国民年金の掛金など払っていなかったが,調べてみると,修習生の頃の国家公務員共済や厚生年金などと併せると,国民年金の掛金を一括納付すれば,ぎりぎり条件を満たすことがわかり,基金に加入した。
 ギリギリのところで手続をし,間一髪のところではあったが,間に合った。ただ今「後三年の役」の私にとっては,随分助かっている。

3 学生時代のアルバイトのこと

 厚生年金というのは,学生時代の1年間ほどのアルバイトである。アルバイトであったにもかかわらず,ちゃんと厚生年金の手続が採られていた勤務先は,メソニックビルディングという。そう言っても誰も知らないだろうが,実は,わかりやすく言えばフリーメーソン日本本部である。フリーメーソンは世界最古最大の友愛団体だとされているが,世間からは秘密結社などとも言われている。2004年に「ダ・ヴィンチ・コード」が出版され,その後映画化され,いずれもヒットしたが,その作者ダン・ブラウンの長編小説に,「ロスト・シンボル」がある。ワシントンD.C.を舞台にフリーメーソンをめぐる謎を追う話で結構面白かった。
 そのフリーメーソンの日本本部と呼ぶべき建物が東京タワーの隣にある。現在はでかいビルが建っているが,私がアルバイトをしていた当時は,せいぜい2〜3階建ての瀟洒な建物で,広大な庭やプールまであった。元を質せば,「水交社」という戦前の海軍将校クラブで,米軍が接収し,その後,フリーメーソンが払い下げを受けたものだという。
 そこで,私が何のアルバイトをしていたかというと,夜間の電話交換手である。当時は,電話が入ると交換手が出て,各部屋にジャックを差し込んで繋ぐシステムだった。外線に繋ぐときも,交換手経由なのである。隔日で勤務していたが,仕事は暇で勉強しようと思えばできたし,仮眠という名の「本眠」もできた。言ってみれば居るだけでよく,極めて楽なアルバイトであった。
 問題は,英語である。居住用の別館もあり,出入りするのは外人が主で,アルバイトの条件は,英語が(少しは)できることだったのである。私は,そっちの方はまるっきり駄目なのだが,条件もよかったので,まあ何とかなるやと腹を括って応募し,試験もないまま採用された。始めてみると,必要なのは,要するに,英語で話される電話番号の聴取りである。数字を一つ一つに分解していたのではとても間に合わない。むにゃ〜むにゃというのをそのまま全体で受けとめ,むにゃ〜むにゃとつぶやきながらダイヤルすれば何とかなった。
 アルバイトを辞めた翌年,何とか司法試験に受かった。厚生年金を付けてくれたフリーメーソンにも感謝しなければならないだろう。

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陽だまり 2013 No41より