明日のことを思い煩わず、今を生きる |
横浜弁護士会会員 千木良 正 |
私は横浜市内にあるカトリック教会に所属しているが、その教会には約600名程度の信徒がおり、高齢の方々も多くいることもあって、毎年、多くの仲間が亡くなっている。すべての通夜・葬儀に参加できるわけではないが、私は都合がつけば、なるべく参加するようにしている。もちろん、「教会の仲間であり、仲間の永遠の安息のために祈る」ということが大きな目的であるが、通夜や葬儀に参加することによって、普段あまり考えることのない「自分の人生」について考えることができるということも通夜や葬儀に積極的に参加するようにしている理由の一つである。
仲間の中には、90代で亡くなる人もいれば、60代で亡くなる人もいる。病気で亡くなる人もいれば、不慮の事故で亡くなる人もいる。会社員として働いてきた人もいれば、教員として働いてきた人もいるし、生涯、専業主婦として生きてきた人もいる。通夜や葬儀では、司祭や親族から、故人の人生のエピソードが紹介されるが、いつも一人一人の人生の重みとともに、人生の素晴らしさを感じさせられる。「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」という言葉があるが(ジェラール・シャンドリ)、家族や周囲の人々への温かい思いやりなどのエピソードを聞いていると、本当にその通りだと実感させられる。
今、私は42歳。自分ではまだ若いと思っているが、あと何年、命が与えられるかは全く分からない。仮に、今後数十年生きることを許されたとしても、数十年後、どのような人生を送っているかは全く分からない。そもそも、5年前には今の自分の生活状況は全く予想すらしていなかったものになっていることからすると、5年後の自分の生活状況は全く予想できないと思わなければならないだろう。 国民年金基金に加入したことによって、「今の自分にできることを行っている」との実感を持つことができるようになった。また、「将来のことは年金もあるのだから心配しないようにしよう」と思うようにしている。国民年金基金に加入したことによって、明日の経済的なことを思い煩うことなく、今を生きることに集中し、誠実な人生を送っていきたいと思っている。 |
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陽だまり 2013 No41より |