庭いじり
鹿児島弁護士会会員 野田 健太郎

 「庭いじり」と言うと、いかにもご隠居さんの時間つぶしと言ったイメージだが、これがなかなか大変だ。
 まわりの同級生達は、ゴルフだ、旅行だ、川柳作りだと、退職後を楽しく過ごし始めたのに、スポーツは余り得意でなく、無趣味無芸で過ごしてきた身には、どれも今ひとつというときに、奔放に生長した庭の樹木に目が留まり、運動がてら庭いじりを始めることにした。
 我か家の庭には、橙、ゆず、キンカンなどの柑橘類やビワ、そして、桜、梅、桃、椿、モミジなど種類だけは色々な樹木がある。手入れのされて来なかったそれらは、勝手に繁り、花を咲かせ、実をつけて楽しませてくれていた。
 脚立、剪定鋸、剪定バサミ等を揃えたものの、剪定の知識は全くなく、形を整えることと、風通しをよくすること念頭に、見よう見まねで、とにかく始めることに。まず、冬の鍋料理に欠かせない橙からだ。実を落とした後、枝葉が絡み、桜島の灰もへばりついて、いかにも息苦しそうな橙の、枝葉を切り、だいぶ風通しをよくしてやった。3メートルほどの木なので、脚立に乗って身体を伸ばしたり、バランスを取ったりしながらの作業はなかなかいい運動になる。ただ、残念かな、今年実をつける花芽のある枝と実をつけない枝との見分けがまだ分からないので、今年は下手すると実が成らないかもと思いつつ、ばさばさとやると、散髪で短く髪を切ったときのような爽快さがある。次は、これも料理に欠かせないユズだ。ユズには大きくて硬いトゲが沢山あり、橙のようには行かない。ひっかき傷を付けながらの剪定は大変だが、ユズの産地はどうして作業しているのか是非見に行きたいと思っている。
 柑橘類は5月頃に白い、香りのいい花をつけるが、春に向けての花といえば、梅、桜である。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」といわれているから、梅は安心して新しく伸びた枝などを剪定して形を整えることができる。紅梅、白梅、蝋梅の3種を植えているが、蝋梅の香りが殊のほかだ。桜は、切り口から腐りやすいと言われるが、小さな枝は関係なく剪定して形を整えることにしている。
 急ぐ作業ではないので、一日1本作業をすればそれで終わり。ただ、樹の全体を見ながら、どの枝を切ったら、どの枝を伸ばしたら形がよくなるか、何年か先を考えながら、剪定のイメージを作るにも結構時間がかかる。この時間は、ちょうど、時刻表をめぐりながら、旅行の計画を立てるのに似た楽しさがある。もっとも、最近は、インターネットで行き先を入れて経路を検索すると、瞬時に回答を得られる時代だから、今に、樹を写真にとって剪定を検索すると最適の剪定方法が示されるようになるかも知れない。しかし、それでは、あれこれ思いを巡らせるせっかくの楽しみがなくなってしまう。効率一辺倒ではなく、時間を掛けて過程を楽しむことを失いたくないと思う。

 もう一つの「庭いじり」は、小さな菜園作りだ。庭の3坪ほどを山鍬で掘りかえし、ふるいに掛けて石ころ類を取り除き、牛糞堆肥と化成肥料を鋤き込み、均して畝を作る。ここまで2日間の作業も結構な運動量である。
 ここに、最も簡単そうな大根と蕪の種をまき、キャベツとブロッコリーの苗を植えた。種を蒔き、数日すると、小さな芽が出だし、せっかちに毎朝見に行っても前日との違いは分からないけれども、確実に成長していく。子葉が伸び出すと間引きをしてやるが、一方、生長したキャベツにはバッタや青虫が発生、葉を食い荒らすので見つけてはつぶす作業を繰り返す。後は、時を待てば、蕪も大根も大きく実り、採取したての野菜が食卓に並ぶという贅沢を味わえることになる。
 僅かな菜園であるが、住宅街の中にあるのに、よく蝶がキャベツの苗を見つけて卵を産み付けにくることに驚かされるし、成長には時が必要であること、また、手を掛ければそれだけ成長することを教えられ、これはすべてのことに通じることだと実感している。
 これからも、実益をかねて、いろんな野菜を植えて見ようと思っており、さらに、鉢植えの草花にも手を伸ばしてみようと思う。花を育てると、それを他人に見せたくなるようだが、それらの草花で、道路に面した入り口を飾ることが出来れば最高だと思う。

 こうして庭いじりに時間を過ごす気持ちの余裕を持てるのも、一つは年金のおかげである。
以前、日本弁護士国民年金基金の地方代議員にしばらく名を連ねていたことがあった。文字通り名を連ねていただけで、年1回の代議員会に出席しても、数字の大きさと複雑さに、ブラックボックスの中から出てきた数字を見ている感じだったが、ちょうど、バブル崩壊によるマイナススパイラルの中で、三角が並ぶ運用成績に、予定どおりに年金支給が出来るのだろうかとの思いが走ったこともあった。65才になり、予定どおりの年金を受領するようになって、統計学を駆使した年金数理のすごさと、運用の検討をされていた先生方のご苦労をあらためて思うとともに、満額の掛け金にしなかったことを僅かに悔やんでいる。

▲戻る
陽だまり 2014 No42より