ゆるやかな生き方に向けて
愛知県弁護士会会員 稲垣 清

古稀を迎えて
 古稀を迎え,一回りも若い人たちが宴席を設けてくれた。「いつまでも元気で現役を続け,長生きの手本を見せて下さい」との励ましの言葉を受け,私は調子に乗り,「よし,百歳まで生きてみせようか」と,大見得を切ってしまった。しかし,簡易生命表による70歳男子の余命は約16年とされている。であれば,いくら祝宴の席であっても,年齢の「現実」を自覚したこれからの生き方を披露すべきであったかと思う。
 県弁護士会から届く訃報をもとに私が計算したところ,過去15年間の会員の死亡時の年齢の平均は74歳であった。同年代やさらに若い人たちの訃報に接し,無常感にとらわれることもある。
 昨秋,小学校時代の同窓会が開催された。卒業後60年の歳月は,同級生たちを見事なおじいちゃん・おばあちゃんに変貌させていた。70年の来し方と「余生」を語り合ったが,その「ありたい余生」は,概ね,家族に面倒をかけない健康状態を保ち,ささやかな楽しみを持ちながら,ゆるやかに生きていたいというもので,私自身もこれに頷き,大きく共感していた。

生き方の転換−簡素で単純な生活へ
 中年期になってからスペイン語を独習し,ほぼ10年間,『ドン・キホーテ』を読み続けた。
 当初,騎士キホーテに叱咤され続けたが,やがて従者サンチョに惹かれるようになっていった。
 いまわの床にあるキホーテにサンチョが語りかける。「羊飼いの姿で野原に出ましょうよ」と。 これは生き方の転換の誘いといえるだろう。
 還暦を迎える頃,体調を崩した私にもサンチョがささやいた。「そろそろ鎧を脱いで」と。
 私はこの誘いに応じ,まず,日常生活の簡素化,単純化に努めることとした。例をいくつか挙げれば,早寝早起きを励行する,夜間の外出はできるだけ控える,携帯電話は使わない,テレビは見ないなどというものであった。
 そんな年寄りじみた単調な生活のどこが楽しいのかと,かつての私の「あくせく」ぶりを知る人たちが尋ねる。私は,単調でもゆるやかな生活は健康の維持にも良いし,ささやかな楽しみにもつながるのだよと答える。
 読書と植物鑑賞を趣味とする私の「ささやかな楽しみ」の一端をご紹介したい。
 読書について。弁護士仲間数人との読書会がほぼ10年余りも続いている。哲学関連の本を中心に読んできたが,仲間たちの議論は,毎回,この時代と社会に対する痛烈な批判に及び,互いに共感し,溜飲を下げ合うものとなっている。
 植物鑑賞について。植物マニアの友人たちと四季の花々を探索,嘆賞する花鳥風月の旅を続けている。これも10年以上に及ぶ。旅の日に一緒に鑑賞した草花や樹木についての蘊蓄を酒肴にしながら,ゆるやかに杯を重ねる。その悠久の趣きは格別である。

回想録−自分史を綴る
 日本国憲法が公布された年に生まれた私には,「戦後」は,私自身の人生にそのまま重なる。幼少時,駐留軍兵士が路上に投げた菓子を夢中で拾った記憶があるが,私にとっての戦後はそのように始まり,憲法とともに今も続いている。
 私は,この肌身で感得した戦後を,「自分史」として書き留めておきたいと思うようになった。
 回想録を綴り始めて約2年になる。
 今更ながら,人生とは人との縁が織りなすものであることをつくづく思う。それぞれの年代に忘れがたい多くの出来事があるが,どの出来事の核心にも人との出会いがあり,その出会いが私というこの人間を成り立たせてきたと納得する。
 この回想録はあくまで私自身のためのもので,公表はしない。また,完成することもないだろう。
 多くの人との出会いに思いを馳せ,幾度も反芻し,ゆっくりと綴る。そのこと自体を,生きてきた,また,生きている自らの証にしていたい。

おわりに
 現役をしばらく維持するとしても,なお速度を下げ,ささやかな楽しみとともに,ゆるやかに生きていきたい。そのためにも,弁護士国民年金基金による支援はいよいよ貴重なものとなる。

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陽だまり 2017 No.45より