遊びましょ 〜年金生活に入った仲間たち〜 |
||
東京弁護士会会員 二宮 充子 | ||
1991年8月1日、日本弁護士国民年金基金設立の日に加入。当時54歳になったばかり(7月が誕生日) でしたが、掛金は満60歳になるまでしか支払えませんので、6年間掛けただけでは当然年金支給額も高い額は望めません。 そこで、当時設けられていた特例を目一杯利用して、5年間は月額9万4,500円を掛けました。特例終了後の1年間は6万7,500円を掛けて終了。 2002年10月15日に第1回の国民年金と一緒に基金の方の受給も開始しました。満額受給の国民年金より僅かに多い額が偶数月の15日に振り込まれて来ます。働けなくなった時に生活を支えられる額には到底及びませんが、それでも一生いただける(多分)お金があることは嬉しいことです。 もっと早い時期に基金が出来ていたら、無理のない掛金で、今頃は、ゆうゆう年金生活、仕事は趣味と言えていたかも知れないのにと、一寸残念な気持ちです。 最近、離婚事件など担当すると、依頼者に思わず、「年金はどうなっているの?」と質問してしまうことが多くなりました。少額の国民年金でも、あるとないとでは安心感に大きな違いがあるように感じます。 一般の少子化傾向に反し、弁護士人口は増加して行くのですから、基金は安全な生活設計の柱に据えることができるのではないでしょうか。
中学・高校時代の友人たちが皆第一線を引退して年金生活に入ったのです。 「悠々自適ならぬ細々自適だよ」などと言ってはいますが、それなりに充実したサラリーマン生活を完走した人達は、たまたま年金受給について最も恵まれた最後の世代ということもあって、60歳で退職、その後第二の就職をした人も65歳から、ほとんど一斉に年金生活に入ったようです。 経済的な心配がなくて時間的余裕があれば、中学・高校時代の仲間と遊ぼうということになるのは、ごく自然な成り行きでしょう。 しかも、不思議なほど皆、中学・高校時代の住所地の近所に住んでいるのです。 中学・高校とも横浜市内の公立校ですが、当時の神奈川県が高校進学について厳しい小学区制だったせいで、選べる県立高校は1校だけ。お陰で1学年250名の高校へ同じ中学から50人も一緒に進学したこともあって、その親しさも相当なものです。おじさん、おばさんの域を超えて、おじいさん、おばあさんと言われてもやむを得ない年頃の男女が「○○チャン」と呼び交わしている図は、知らない人から見れば少なからず可笑しいのでしょうが、当人たちは、疎遠であった時期の分まで取り返すように、いろいろと集まるチャンスを作っています。 昨年は中学卒業満50周年ということで、修学旅行で行った平泉・松島を1泊2日で訪ねました。往復夜行列車で3泊4日だったところを、早朝出発・翌日夜帰着の貸切りバスで、夕食を待ち切れずにアルコールに手が出るところ以外は、50年の年月がどこかへ消し飛んでしまったような2日間でした。 このバス旅行仲間40数名のうち14〜15名は高校も一緒で、2日後に行われた隔月毎の例会には6名程が顔を出しました。 現在のように進学率が高かった訳ではありませんから、中学だけで社会に出た人も多いのですが、年金生活者が圧倒的多数となってみれば、学歴も職業も職場での地位も、結局はその時だけの仮の姿、本質は中学・高校時代のままということのように思われます。 ただ、面白いと思うのは、中学の集まりと高校のとでは、同じ人が違う顔を見せることで、これは、各人がそれぞれの校内で担っていた学校時代の役割が、そのまま持ち越されているのかも知れません。 時代、地域性、当時の学制、いろいろな要因があって初めて可能になったことではありますが、まるで中高一貫教育の私立校で学んだかのように、中学・高校を共に過ごした仲間たちと、老年の域に達してなお、青春前期の交流が保たれていることを、幸せにも、ありがたいことにも、感じています。
|
||
▲戻る | ||
陽だまり No.24 `04.5より |