私の人生楽しみ学
大阪弁護士会会員 大川 哲次
私の趣味の紹介
 人から 「大川さんの趣味は?」 と聞かれれば、 迷うことなく 「旅行、 登山、 温泉、 食べ歩き」 と答える。 忙しい仕事と雑務をやりくりしての年間100日前後の旅行などの趣味や遊びの世界は、 ここ20年間ほど完全に私の生活の一部になってしまっている。

私の趣味の原点は山登り
■ 私の趣味は、 先ず山登りから始まった。 司法修習生時代の昭和48年9月の北アルプス・立山 (3015m) を手始めに、 昭和63年4月の屋久島・宮の浦岳 (1935m) に至るまで、 約15年をかけて、 「日本百名山」 全山を登頂した。
 私が山の魅力に取りつかれたのは、 昭和48年9月に修習同期で同じクラスの友人と富山県・黒四ダムに旅行した時である。 黒四ダムから眺めた美しさと雄大さを合わせもつ立山の姿に、 言いようのない感動を覚えたからである。 その時は、 感動したそのままの勢いで、 スニーカーを履いた軽装のまま標高3015mの立山に登ってしまった。 それは私の郷里が三重県尾鷲市の海を間近にひかえた田舎そのもので、 高い山というものに無縁であったため、 その時の感動がより大きかったからであろう。
■ それから仕事の合間の休日を利用しては、 山登りを続けているうちに、 山の文学者である深田久弥の名著 「日本百名山」 の存在を知り、 どうせ山登りをやるんだったら、 いっそ 「日本百名山」 を全部登ってやろうという目標を持つようになった。 その目標をたててからは、 自分の毎年のスケジュールを登山日程を中心に組み立てるようになった。 毎年11月ごろに次の年の訟廷日誌が手に入ると (本当は新しい訟廷日誌を手にするのが待ち遠しい気持ちであった)、 すぐに翌年の5月の連休、 7月下旬、 8月の盆休み、 9月下旬、 10月中旬などの比較的休みの取りやすく、 また時季的にも天候の安定している約1週間から10日間の期間を登山予定日として、 法廷などの仕事を一切入れないようにその予定日に×印を付けていった。 その×印を付ける際に、 私の頭の中でどこの山へ登るかも決めた。
■ 「日本百名山」 に選ばれている山は日本全土にわたって点在し、 標高も高い山が多い。 そのため全山登頂をはたすことは、 日数的にも長期間を要し、 並大抵では達成できないことは自分でもよく分かっていた。
 私が 「日本百名山」 を目指してからそれに当てた日数は、 毎年30日から50日にも及んだが、 前の年に訟廷日誌に書き込んだ登山スケジュールは、 どんな急な事件や用事が入っても、 何とかやり繰りし、 その計画を取り止めたり、 先延ばしにすることは全くと言ってよいほどしなかった。 仮にその計画を取り止めたり、 先延ばしすれば、 ついその癖が自分の中についてしまって、 普通では達成不可能な 「日本百名山」 全山登頂は、 到底無理と自分の心の中で決めていたからである。 昭和50年8月に刑事弁護の依頼を受けたすぐ後に、 当初の計画通り北アルプスに登り、 槍ヶ岳 (3180m) の山頂から依頼者と何度も山荘の無線電話で事件の打ち合わせをしたエピソードもある (この事件は、 今に思えば在宅事件で本当によかった……)。
■ 山登りの魅力は、 単純だが何と言っても山頂からのぞむ眺望 (特に日の出と日の入りのころが素晴らしい) と、 山から下山してから入る温泉と一気に飲む冷えたビールの味である。
 それとともに山登りには、 仕事や日常生活にも相通じるものがある。 「山に登っている途中は苦しい。 しかしその苦しさを乗り越えて、 山頂に達すると、 素晴らしい眺望と爽快感が待っている。 それは山登り以外の仕事とか日常生活でも同じ。 いつも気持ちの踏ん張りが、 仕事や人生における難問を解決してくれることが多い。」 という気持ちの持ち方が、 私の山登りについての人生哲学と言える。
■ 私が全山登頂を果たしてから年月はかなり経っているが、 「日本百名山」 全山を登ってみて、 それら百山は大部分が素晴らしい山々であったが、 あえて特に私が気に入っている山を五山だけ自分なりに選んでみた。 北海道・大雪山中のヒグマにも会えるかもしれないほど人里を離れ、 秘境感に満ちたトムラウシ山 (2141m)、 残雪とお花畑の美しさと登山道近くの湧水が抜群に美味しい東北・飯豊山 (2128m)、 剣岳と立山が西方に間近に眺められ、 眺望抜群の北アルプス後立山連峰・鹿島槍ヶ岳 (2890m)、 山のスケールが雄大で、 富士山が南方に間近に眺められる南アルプス・赤石岳 (3120m)、 「日本百名山」 の最後として登った南の離島である屋久島・宮の浦岳ですが、 他にも甲乙つけがたい魅力ある山はたくさんある。

もうすぐ1500湯達成の温泉めぐり
■ 私が山と同じように温泉の魅力に取りつかれていったのは、 日本百名山全山登頂を目指して山登りを続けるうち、 自然と温泉に入る機会が増えていったからである。 そのように温泉に入るのがふえていくうち、 ちょうど百名山の半分くらいを登り終えたあたりから、 百名山全山登頂を達成した後は、 日本1000湯めぐりに挑戦してやろうという気持ちが、 私の中でだんだん大きくなっていった。 それは300湯を入り終えたころであろうか。 その気持ちが自分の新たな目標となって、 すぐに書店でJTB発行の温泉ガイド 「全国温泉案内1800湯」 を購入した。
 それからそのガイドブックを片手に、 宿泊して入った温泉には青○印を、 泊まらずに温泉だけ入ったところには赤○印を付けていった。
 このように青と赤の印を付けだしてからは、 数をカウントする楽しみもでき、 「絶対1000湯は達成してやる」 と自分の心に目標として決めた。 それは日本百名山と同じように、 私の心の中で一種の義務感のようなものとなった。
■ 私にとって温泉の魅力とは、 山登りと同じように、 「多忙な仕事や雑多な用事から開放されて、 何も考えずに頭を空っぽにできること」 である。 人里離れた山奥のひなびた温泉宿で湯につかりながら、 地酒でも飲む。 肴は素朴な山菜料理だけでよい。 そしてテレビも新聞もない宿の部屋で、 畳の上に寝転がって、 仕事とは関係のない好きな旅の本でも読む。 そんな普段の生活とは180 度違うゆったりした時間を過ごせること、 すなわち非日常的な時間と空間を思う存分に過ごせるのが、 何よりも温泉の魅力と言える。
■ 温泉旅行の計画の立て方は、 山登りの場合と同じであるが、 訟廷日誌に×印を付けた日は、 急な仕事が入っても何とかやり繰りをして、 温泉入浴の数を徐々に増やして行った。
■ 私の温泉めぐりの1湯目は、 昭和48年4月の司法研修所の親睦旅行で行った伊豆長岡温泉であるが、 その時はまさか1000湯めぐりを目指そうとは、 夢にも思わなかった。 しかしながら、 それから19年目の平成4年4月26日に私は、 鹿児島県の離島であるトカラ列島・小宝島にある小宝島温泉露天風呂にて1000湯めぐりを達成した。 小宝島は、 鹿児島県十島村にある9つの島のうちで1番小さな島である。 鹿児島市よりの定期船が5日から1週間に1便しかなく、 海が荒れれば欠航で、 鹿児島市より14時間もかかる正真正銘の秘境の島であって、 記念すべき1000湯目に選んだ温泉としては、 私の理想とするものであった。
■ 1000湯達成後も、 私は温泉めぐりを続けている。 私の趣味の主役が海外秘境めぐりに移ったこともあって、 ペースダウンはしているが、 現在1487湯まできている。 あと何年かかるかは分からないが、 できれば区切りの2000湯を目指したい。

その他の趣味への挑戦
■ 私は、 日本百名山と1000湯めぐりを達成した後、 趣味の中心は海外秘境めぐりとなり、 それは現在も進行中である。 現在65カ国を訪問しているが、 海外100 ヶ国めぐりを是非達成したい。 今まで訪れた秘境としては、 南米のインカ、 アマゾン、 ギアナ高地、 パタゴニア、 イースター島、 ガラパゴス諸島、 そしてグリーンランド、 アイスランド、 モンゴル、 ブータン、 パプアニューギニア、 北朝鮮などである。
■ それ以外にも、 私は日本の主な観光地のほとんどは回り (特に北海道には50回以上行っている)、 日本の島も大部分は訪れている。 さらに日本全国食べ歩きもグルメ仲間とひんぱんに続けている。
■ 趣味を楽しむ日以外の私の1日は、 朝6時に起床して、 事務所へは8時前に出勤して仕事にかかり、 特に予定のある日以外は夜遅くまで仕事をする。 そして土曜日も主に依頼者との打ち合わせにあてるというパターンを既に20年ほど続けている。 私の仕事の仕方は、 他の人が5日でやる仕事を、 つめて3日半ほどで終わらせて、 その分休みをまとめて多く取れるようにして、 それを趣味や遊びの生活にあてている。

私の人生学
 私は、 仕事も遊びも、 ともに100%楽しんでこそ人生を満足してやり通すことができると考えている。 そのため仕事だけではなく、 趣味や遊びにも目標を持つことが大切であると信じている。 そしてこの日は仕事、 この日は遊び、 とけじめのある生活をして、 両方平等に両立させることと、 仕事で自分の得意分野を持つのと同じように、 遊びでも自分の得意分野を持つことが、 人生を楽しく過ごすコツではないだろうか。
 目標、 言いかえれば夢は、 人生にさまざまな彩りを与えてくれるに違いない。
▲戻る
陽だまり No.25  `04.5より